通坊寺内町(陀羅尼寺村)


かつての陀羅尼寺村は、現在の富山市上栄です。ここには、現在堤町にある、勝興寺通坊の故地です。

寺伝では、文明4年この地を訪れた蓮如によって動清水精舎が創建されました。

勝興寺通坊は、慶長年間に、前田利長によって富山に寺領を与えられ移転しました。

利長は、富山を隠居城として整備しました。

勝興寺通坊の門前から、西町に向けた広い通りが構えられ、ここに、一里塚が設けられました。通坊は、まさに富山の中心でした。

しかし慶長14年、鼬川沿いから出火した火災は、南風の煽られて富山は大火となりました。富山城も焼失し、利長は、高岡に居城を移したのです。

寺院の跡地は、慶長5年、布市で一万石を与えられた土方河内守雄久の屋敷となりました。なお、土方雄久は、慶長13年に能登に転封となっています。

ところで、富山に移転した勝興寺通坊は、寺内町ともども移転しています。

恐らく、陀羅尼寺村でも寺内町を伴っていたのです。

それは、周囲を土塁と濠で囲まれた平城で、その跡が、土方雄久の館となったと考えます。

村社の神明社には、不思議な土塁遺構が残っています。この土塁は神明社を囲む土塁ではなく、神明社の参道は土塁の内側から外に伸び、神明社は土塁の外にあります。

 

この神明社の西側に「蓮如上人」と彫った石碑が建っています。ここの石碑は昔からこうだと地元の方から伺いました。恐らく、動清水精舎はここに建立されたのでしょうか。

とすると、神明社の土塁は、ここを囲むように築かれていた疑いがあります。

 


 


[PR]DVD可能パソコンを進呈:今なら無料でパソコンGET!