神保長職と椎名康胤は、永禄2年以降合戦状態となり、康胤を加勢した上杉越後の武将、北条丹後守景広と斉藤下野守朝信が掲げた「制札」が玉永寺に残されています。
制 札
右於越中国新河郡内、神前筑前拘領太田上郷道場寺家同門前越後州諸軍勢濫妨狼藉堅停止之若有違犯族者、不嫌甲乙人可被処罪科状如件
永禄参年三月 口 丹後守(花押)
下野守(花押)
玉永寺文書
これによると、一時期太田上郷にあった玉永寺には、門前町があったようです。
越中の寺内町の事例として、
城端・善徳寺
井波・瑞泉寺
末友・勝興寺
等の寺院が著名です。
しかし、上栄の通坊には、寺内町があったようです。
そしてまた、玉永寺は城郭寺院でもありました。
城郭寺院の事例として、太田郷の専立寺の事例があります。
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